黄檗宗
〔沿革〕
宗祖隠元は、承応3(1654)年中国福建省福州の黄檗山万福寺の住職を退き、徳川四代将軍家綱公の招請により来朝。当時の皇室をはじめ諸国の大小名の帰依を受けて一挙に三千五百カ寺に余る黄檗宗寺院が全国に建立された。以来、徳川幕府の威令が行われている間は法隆をきわめたが、明治維新の廃藩置県の大号令により菩提寺の維持が困難になり、自然廃寺が続出した。宗祖隠元は、功績により四朝国師、二大師の号が宣下される。宗門には名僧多く、宗教活動の外にも社会と文化と福祉に多大の貢献をした。
〔教義〕
釈迦牟尼仏により以心伝心をもって正法を相続し、歴代の諸祖が不断に継承して現在に至ったものであり、参禅を以って仏心を究明し、唯心の浄土、己身の阿弥陀仏を体得し禅教の一如の妙諦により転迷開悟安心立命を期するを教義とする。一○香の坐禅に心身の統一をはかり、無心の作務に労働奉仕の喜びを覚らしめ、厳格な食事作法に一粒米の尊さを教え、旦夕端座の写経に自己反省を促し、その一挙手一投足をして弥陀の世界へ近づけしめんとする精進であり、煩悩そのものを浄化して次第に覚りの世界へ転ぜめんとする現実をふまえた教えである。
『現代仏教情報大事典』より引用
発行所---(株)名著普及会/発行者---小関貴久