曹洞宗
〔宗旨〕
すべての人が、釈尊から歴代伝わった教えである「正法」に遵って日常生活を行い、ひいてはこの社会が「正法による平和な世界」になるのを理想としている。では、その正法とは何かといえば、誰でもが「只管打坐」を実践し「即心是仏」を信じて生活することである。この二本の柱が根本となっているが、この宗旨を日常、どのように実行するのがよいかの標準(教義ともいう)として、『修証義』が示された。つまり『修証義』とは曹洞宗の宗旨を広く一般の人々に説き示した教えである。
〔教義〕
『修証義』は、5章31節にわけられている。そのうち、懺悔滅罪・受戒入位・発願利生・行持報恩の四つを四大綱領と呼んでいる。この四大綱領が、『修証義』の根本となる教えであるが、これらは「禅戒一如」の考え方で貫かれ、また「修証不二」の立場を説き明かしているのである。 只管打坐が、宗旨の大きな実践目標ではあっても、多くの人々が常に、坐禅に専念することは出来ない。このように坐禅に打ち込むことの出来ないものは、坐禅の心構えや態度を日常生活の上に生かしてゆくことが肝要であって『修証義』に示された「戒の実践」が、そのまま「坐禅の実修」と同じことになるという道理を、禅戒一如といったのである。 修証という語は、修行と修悟の語からきている普通には、坐禅その他の修行を積み、その結果として悟ることが出来る、というように用いられている。 しかし道元禅師は、修証をこのように二つにわけては考えずに、一つのものとみていた。それは、日常私達が反覆し、繰り返す仏教生活(修行)には、なんらの果報(証悟)を待ち望んではならない。悟りを得ようと努めるとき、その努力は目的実現の為の手段となり、その修行は純粋なものと言えなくなる。大切なことは、日常の正しい実践生活であって、この道理を真に理解して、ただ、ひたすら教えに耳を傾けて精進することである。 『修証義』は、このように「修証不二」の道理を明らかにしたものである。 この『修証義』は、多くの人にその家庭生活の正しい在り方を示す目的で、明治23年(1890)12月に布達されたものである。本文はすべて道元禅師の『正法眼蔵』から抜き出し、時の永平寺貫首滝谷琢宗禅師・總持寺貫首畔上楳仙禅師によって編集の上、一宗に告諭されたものである。
『現代仏教情報大事典』より引用
発行所---(株)名著普及会/発行者---小関貴久