【寺院名】長昌山 竜穏寺(りゅうおんじ)

【宗派名】曹洞宗 別格本山
【別名】
【住所】埼玉県入間郡越生町龍ケ谷
【本尊】釈迦牟尼佛
【開山】無極徹大和尚
【開基】太田道灌
【由緒】竜穏寺はその地形が大本山永平寺に似ているところから、関東の小永平寺と呼ばれ、永亨2年(1430)太田道真が、無極和尚を小田原大雄山道了尊から迎えた。以後、関東の鬼道場として栄え、すぐれた高僧を育て、慶長17年(1612)徳川家康より曹洞宗法度の制定を命ぜられ、関東三大寺(竜穏寺、大中寺、総寧寺)の筆頭となった。竜穏寺の支配する寺院は九州、四国、中国、関東の23ケ国、3,000余ケ寺に及び、格式は10万石で、歴代住職は幕府将軍によって決定せられ、大本山永平寺管長として昇住した。明治維新の革命で、300町歩の寺領は没収せられ、廃仏棄釈により従来の特権は召しあげられ、その上火災に遭い、檀家もなかったので、山間避地の寺院となり衰退していった。戦後、近年に至って、徐々に復興の兆が見えつつあり、禅の心ふるさととして、静寂の霊魂が残っている名刹である。
【寺宝】太田道灌肖像画ならびに真筆和歌/狩野探幽筆屏風十六羅漢 2双/明治天皇御使用の大卓と大鏡/古文書/経堂(重文)/銅鏡(重美)/その他多数