【寺院名】清瀧山 萬福寺(まんぷくじ)

【宗派名】時宗
【別名】
【住所】島根県益田市東町25-33
【本尊】阿弥陀如来
【開山】遊行4代呑海上人
【開基】益田越中守兼見
【由緒】時宗益田道場清瀧山萬福寺は、もと安福寺と号し、石見国中州浦にあって、七堂伽藍をかね備えた天台宗の大寺であった。万寿3年(1030)5月大津波のため堂塔ことごとく流失したが、その後小庵を建て、わずかに寺号と法灯を守り続け、正和2年(1313)遊行4代呑海上人が再興し、時宗の道場に転じた。応安7年(1372)益田越中守兼見はこの堂宇を現在の地に移し、萬福寺と称して寺領31石を与え、益田家の香華院とした。文明年間(1469-87)には画聖雪舟が留錫し、堂後に日本庭園の典型とも言うべき石庭を残した。また慶応2年(1686)益田戦争の際、萬福寺は福山、浜田両藩の陣営となり、兵火のために総門は焼失したが、幸に本堂、庫裡にその類を及ぼすことなく、現在の本堂は昭和9年(1934)の修理で寄棟造に復元されたものである。
【寺宝】本堂(重文)/二河白道の図(重文)/庭園(史蹟及名勝)/書院襖絵 32面(県文)/観世音菩薩立像(市文)/持国天立像(市文)/多聞天立像(市文)/その他多数