【寺院名】坤松山 天祐寺(てんゆうじ)

【宗派名】曹洞宗 格地
【別名】
【住所】長崎県諫早市西小路町
【本尊】釈迦牟尼仏
【開山】春岡揚富禅師
【開基】西郷尚善公
【由緒】和銅(708-15)・神亀(724-29)の頃、行基菩薩が全国を廻遊した際、九州にも渡来し、その時、この諫早の坤松山に足を止め、ここに寺院を建立してはどうかと多数の僧、在家の信者を集めてあい諮り、現在の天祐寺の前身が、創立された。永正(1504-21)、大永(1521-28)年間の頃、諫早の領主西郷石見守尚善が、春岡揚富禅師を肥前の南江、保福寺より招じて、自から本寺の開基となり、その法号天祐宗基居士の天祐の2字をとって寺号となした。その後、肥前の名家竜造寺家晴によって亡ぼされたが、再び家晴の遺言によって、天祐寺は、諫早家代々の香花菩提所と定められ、今日に至っている。境内には領主歴代の墓碑が立ち並び、昔日の武将の雄姿をみる思いがし、その1つ1つに諫早の歴史の重みを感じる偉観というべき文化財である。また、同寺の虚空蔵菩薩は、霊験あらたかにして多くの人々から信仰されている。
【寺宝】大門(天祐寺最古の建造物)/石造五重の塔/那羅延金剛、密跡金剛/諫早家墓(県文)/六地蔵(市文)/島原の乱戦没者慰霊碑(市文)/たけくらべ地蔵/土蔵(農地開放前の米蔵)/その他多数