【寺院名】五百仏頂山 智積院(ちしゃくいん)

【宗派名】真言宗智山派 総本山
【別名】
【住所】京都府京都市東山区東大路通七条下ル東瓦町964
【本尊】大日如来
【開山】玄宥僧正
【開基】
【由緒】興教大師覚鑁上人の開いた根来山は、非常に発展しその坊舎は2,700有余、住侶は5,900を数えたと云われる。智積院はこの根来山塔頭寺院の学頭寺としてあったが、天正13年(1585)豊臣秀吉のために滅ぼされた。当時一山の学頭であった智積院の玄宥僧正は、難を京都にのがれ、慶長6年(1601)徳川家の助力を得て、京都東山に豊臣秀吉が愛児鶴松の菩薩を弔うために建立した祥雲禅寺を拝領、五百佛山根来寺智積院と名を改め、以来、真言教学の最も正統な学風を伝える寺院となった。明治33年(1900)に、智積院は真言宗智山派の総本山となり、終戦後の世相の混乱を乗り越えて、その拡充整備がなされてきた。昭和41年(1966)には、智積院会館、昭和50年(1975)には、宗祖弘法大師御誕生1200年を機に、約100年ぶりに金堂(本堂)が再建された。
【寺宝】国宝障壁画 智積院現存の絵は楓図、桜図、松に秋草図、松に黄蜀葵図、雪松図、松に立葵図等である。作者は長谷川等伯一派で、障壁画としては日本第一級の傑作と世評に高い。/名勝庭園 利休好みの庭園と云われ、小堀遠州の造園と伝えられる名園。