【寺院名】愛護山 善光寺(ぜんこうじ)

【宗派名】真言宗醍醐派
【別名】
【住所】岐阜県岐阜市伊奈波通り1-8
【本尊】善光寺如来
【開山】良仁法印
【開基】
【由緒】愛護山善光寺は俗に、岐阜の善光寺と云われ、正しくは善光寺・安乗院と称し、天正10年(1582)織田信長が、善光寺如来の本仏を武田氏より奪い取り、この岐阜の地に祀ったことに始まる。善光寺如来は、戦国時代の武将によって各地を流転することになるが、その発端は武田信玄が信濃善光寺から持ち出したのに始まり、それを織田信長によって岐阜に移され、織田信雄が尾張甚目寺に移し、また徳川家康により浜松の鴨江寺に移した。さらに甲府へ返されるが、豊臣秀吉により京都方広寺へ、そして信濃に返された。同寺は、明治24年(1891)の濃尾大震災によって全焼するが、阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩の三体はその難をのがれ、現在は台座、光背も補われ祀られている。同寺は、真言宗醍醐派に属しているが、岐阜・伊奈波の善光寺として宗派に関係なく岐阜市民に親しまれている。
【寺宝】善光寺如来--本多善光が難波の渕から持ち帰った仏様で、この仏様を祀った本多家は以後、大変に栄えたと云う。そして、この仏様は、本多善光の名をもって善光寺如来と呼ばれるようになった。正しくは、阿弥陀三尊仏と云い、阿弥陀如来を中心に、観音、勢至両菩薩が1つの光背の前に立っている。