【寺院名】吉田山 新長谷寺(しんちょうこくじ)

【宗派名】真言宗智山派
【別名】吉田観音
【住所】岐阜県関市長谷寺町
【本尊】十一面観世音菩薩
【開山】護忍上人
【開基】不明
【由緒】新長谷寺は貞応元年(1232)に護忍上人が人々の救世利益を願い、大和初瀬の長谷寺に参籠し修行されていたとき、夢に観音様が示現されて瑞麗な尊像を置き去ったので、護忍上人はこの観音様の霊力によって広大な寺領に七堂伽藍と子院16坊を建立されたことに始まる。また後堀河天皇(在位1221-32)の眼病平癒を祈願したところ、忽ち平癒されたので、天皇より新長谷寺の寺号を賜り、国家鎮護宝祚無窮の霊場とされた。その後正安2年(1300)兵火にあったが、隆覚上人と二階堂出羽守が中興の祖となり再建した。さらに長禄元年(1457)に伽藍の一部を焼失したが、村山三河守源頼秀朝臣等が再興し、今日現存する建物はこの時代のものである。明治維新になると寺領を滅ぜられ、金剛院なる本坊を残すだけとなった。現在の客殿がその一部であり、貴重な文化遺産として保存されている。
【寺宝】本尊十一面観世音菩薩立像(国重文)/開山護忍上人像/第七世中興隆覚法印像/厨子入り阿弥陀如来像(国重文)/七堂伽藍(国重文)/三重塔(国重文)/二階堂出羽守行藤朝臣の墓所/その他多数