【寺院名】盛立山 稱名寺(しょうみょうじ)

【宗派名】真宗高田派
【別名】
【住所】福井県坂井郡三國町黒目2-7
【本尊】阿弥陀如来
【開山】親鸞聖人
【開基】佐々木盛綱(西念)
【由緒】称名寺は佐々木盛綱に由来する寺であり、盛綱は法名を西念といい、親鸞聖人の弟子であった。西念の子・光実が仁治2年(1241)越前の折立郷に精舎を建て、6代目の頃兄弟が各々別の地に坊舎を構え、北坊と南坊と称し寺宝を二分した。現在の称名寺所伝の聖徳太子絵伝は南坊所伝のものであった。その後南北両坊の対立があり、10代法祐が折立を出で米納津に一宇を建立し称名寺と号した。法祐以後4代は米納津称名寺として該地にいたが、14代祐に至り、風砂の害のため、黒目の地に寺を移した。この頃は激しい戦禍の中で高田派寺院門徒が動かされ、一揆の総師下間築後頼照を捕えたことにより、柴田勝家は土地の寄進を申し出たが、祐は辞退したので感状となった。後15代、16代の時、風砂の害が激しいため、寺を黒目より下野地籍に移し、現在に及んでいる。
【寺宝】聖徳太子御絵伝六幅(県文)/聖徳太子二歳木像(町文)/親鸞聖人六字名号御真筆一幅/柴田勝家感状--下間築後頼照を黒目の高田門徒が捕えたとき、柴田勝家より贈られたもので、極めて貴重な歴史的史料である。