【寺院名】信濃国分寺(しなのこくぶんじ)

【宗派名】天台宗
【別名】八日堂
【住所】長野県上田市国分
【本尊】薬師如来
【開山】
【開創】 天平13年聖武天皇
【由緒】信濃国分寺は天平13年(741)、聖武天皇の国分寺創立の詔によって創建された。その後平将門の乱(935-940)で焼失し、その後現在の地に移されたという。国家の保護が失われると漸次衰退し、伽藍も規模が縮少したので、源頼朝(1147-99)が善光寺参詣の帰途堂塔の修複を命じ、現存三重塔はこの時の建築であると伝う。室町期は郷土の信仰の中心となって八日堂縁日などで栄え、永録年間(1558-70)兵火により堂宇焼失したが、三重塔だけは兵火を免れた。その後宝永5年(1708)、仮本堂再建、寛政4年(1792)鐘楼が建立された。文政12年(1829)68世孝誼により本堂再建が発願され、北信、北上州一帯からの浄財によって、万延元年(1860)に竣工した。発願以来33年の歳月と棟上げまでの建築費2200余両を要した大事業であった。以来この地方すべての人々によって護持され、信濃の官寺から信濃全民の寺と変わって現在に至っている。
【寺宝】三重塔(国重文)/本堂(市文)/多宝塔(市文)/八月堂縁日図(市文)/蘇民将来符(市文)/牛頭天王祭文/その他多数あり