【寺院名】報国山 光明寺(こうみょうじ)

【宗派名】西山浄土宗 総本山
【別名】粟生光明寺
【住所】京都府長岡京市粟生西条26-1
【本尊】阿弥陀如来
【開山】法然上人
【開基】熊谷蓮生法師
【由緒】総本山光明寺のある粟生広谷は、宗祖法然上人が43才のとき、立教開宗して最初に念仏の教化をされた地である。当寺は建久9年(1198)、熊谷蓮生法師(熊谷次郎直実)によって建立され、江州堅田の浮御堂千体仏の中尊仏である丈六の阿弥陀如来像(恵心僧都作)を本尊とした。法然上人により入仏落慶法要を営み、上人を第1世、蓮生法師は2世となった。そのとき上人より「念仏三昧院」の寺号を頂いた。これが光明寺の前身である。80才で入滅された法然上人は他の仏教宗団の迫害により、比叡山の衆徒により墳墓をあばかれ、遺骸を鴨川に流されそうになり、石棺が太泰の広隆寺へ移された。後、上人の石棺より数条の光明が放たれ粟生野を照らすという不思議により、石棺を当寺に移し荼毘に付した。寺の裏山に納骨、廟堂を建立した。光明寺の寺名はこの奇瑞による。正親町天皇の綸旨を請けて「浄土門根元地」と称する。現在は洛西無比の大伽藍である。
【寺宝】千手観音像(重文)/四十九体化仏阿弥陀仏来迎図(重文)/二河白道図(重文)/その他多数の寺宝有り