【寺院名】興福寺(こうふくじ)

【宗派名】法相宗 大本山
【別名】
【住所】奈良県奈良市登大路町48
【本尊】釈迦如来坐像
【開山】
【開基】
【由緒】興福寺は、大化改新(645)の功労者、藤原鎌足公の本願である山階寺を起源としている。和銅3年(710)平城遷都されると、その子、不比等が先志を継承して現地に中金堂を造営して官寺に列し、王朝の隆盛につれて氏寺興福寺からは高僧が多く輩出した。しかし武士団の台頭があり、源平の戦乱が起こると、治承4年(1180)大伽藍が炎上し、鎌倉時代に入り堂塔が復興するとともに、大和国守護職の任に当たった。その後江戸期には知行禄高2万1000石、享保2年(1717)の大火によって伽藍の半ばを焼失し大打撃を受けた。なお、明治の廃仏毀釈令によって境内は寸断されたが貴重な仏教芸術品は多数伝承されており、各堂はじめ国宝館に収蔵されている。創建以来度々の災難によって昔日の壮観さを見ることはできないが、法灯護持の精神は今日まで脈々と受け継がれている。
【寺宝】銅造仏頭/阿修羅立像/弥勒仏坐像/銅造薬師如来坐像/銅造日光・月光菩薩立像/文殊菩薩坐像/維摩居士坐像/無著菩薩立像/世親菩薩立像/法相六祖坐像/天灯鬼立像/龍灯鬼立像/不空羂索観音菩薩坐像/その他仏像、文書、絵画等多数