【寺院名】久々知山 廣濟寺(こうさいじ)

【宗派名】日蓮宗
【別名】近松寺
【住所】兵庫県尼崎市久々知1-3-27
【本尊】釈迦牟尼如来
【開山】如意珠院日昌上人
【開基】
【由緒】別名近松寺とも称される廣濟寺は、この一帯を支配していた源氏の棟梁・多田満仲が、天徳元年(957)、日本最初の北辰星を祀ったことに始まるとされ、現在もその名残の矢文石が残っている。その後時の流れとともに変遷し、荒れるがままに放置されていたが、正徳4年(1714)高徳の日昌上人が尼崎城主・松平家の協力を得て、由緒ある多田満仲勧請の妙見宮を祀り、法華道場として再興し、現在の廣濟寺となった。このとき建立本願人として大きく寄与貢献したのが、江戸中期の文豪・近松門左衛門であった。他にも近松の作品出版を引き受けていた大阪の浄瑠璃本出版業者・正本屋九右衛門や歌舞伎役者・嵐三右衛門、佐野川万菊、藤川正松らが、妙見本殿、本堂、庫裡などを建立した。工事造作の計画などもすべてこれらの人々が中心となったが、やはり近松門左衛門の篤信が、最も大きかったといえる。
【寺宝】近松門左衛門の墓(国指定史跡)/近松記念館 昭和50年(1975)3月に着工、同年近松祭の11月22日に完成。近松の偉業を称えるとともに、これまでほとんど未公開であった広済寺に残る遺品約60点の展示、近松作品の上演など、近松の殿堂といえる。