【寺院名】普陀山 巖吼寺(がんくうじ)

【宗派名】曹洞宗明峰派
【別名】岩戸山
【住所】長崎県南高来郡加津佐町
【本尊】釈迦牟尼仏
【開山】大智禅師
【開基】宗龍大禅定門
【由緒】巖吼寺は前名を円通寺と称し、正平8年(1353)、時の領主・有馬佐衛門佐澄世公が大智禅師の崇高なる徳に帰依し、肥後広福寺より禅師を招請して一宇を建立し、その開山となる。当時は禅師の教化篤く、常住の僧300人におよび、七堂伽藍を備え、寺運は隆盛を極めていたが、天正7年(1579)、寛永14年(1637)、島原の乱の暴徒の兵に遭い、一時荒廃した。慶安5年(1652)雲山愚白和尚が加州より来て大智入定名蹟の廃頽を嘆き、智公の偉業を興さんとして円通寺再建を発願し、時の領主・高力高長の許を得て、寺号を普陀山巖吼庵と改称して復興し、今日に至っている。往古より観音霊場(郡内三十三観音霊場の第20番札所)にして、人々の信仰が跡を絶たない。
【寺宝】大智禅師使用の袈裟、鉄鉢等/観世音菩薩--聖武天皇(在位724-749)を助け東大寺および国分寺の建立を成就し、天皇の戒師と仰がれていた行基菩薩の作と伝えられる/その他 多数あり