【寺院名】発信貴山 縁城寺(えんじょうじ)

【宗派名】高野山真言宗
【別名】観音さん
【住所】京都府中郡峰山町橋木873番地
【本尊】千手千眼観自在菩薩
【開山】
【開基】善無畏三蔵
【由緒】縁城寺は縁起によると「昔、印度の高僧善無畏三蔵来朝し、紫雲の霊瑞を尋ねて当山に来たり。千手観音木像を授かり、その由来を記して尊像の天衣に結びて帰印され給う」と伝えられる。その後延暦14年(795)、桓武天皇より「縁城寺」の寺号勅額を賜り、また弘法大師が若き日、縁城寺に三蔵の天衣記があると聞きご来錫披見し、「發信貴山」の山号額を自ら書き残した。その後一時衰微したが、一条天皇(在位986-1011)の帰依篤く勅願寺として永延2年(988)再興され、以来丹後地方の庶民の信仰の中心として賑わいを見せた。しかし明治4年(1871)、廃仏毀釈などのため、漸次衰運に向かうに至った。昭和2年(1927)丹後震災による総門、仁王門、庫裏の全壊、昭和38年(1963)の豪雪による多宝塔上層部の倒壊等を経て現在に至り、往時の伽藍の復興を望まれる状況にある。
【寺宝】木造千手観音立像(重文)/石造宝篋印塔(重文)/金銅装笈(府文)/縁城寺縁起(町文)/十王図(町文)/倶生神像(町文)/如意輪観音像(町文)/錫杖(町文)/五具足(町文)/その他多数