【寺院名】磯長山 叡福寺(えいふくじ)

【宗派名】単立
【別名】上太子
【住所】大阪府南河内郡太子町太子
【本尊】如意輪観世音菩薩
【開山】聖徳太子
【開基】
【由緒】叡福寺は、推古天皇の勅願により聖徳太子の墓を守護し追福を営むために、香華寺として坊舎を建立したのが開基とされている。神亀元年(724)聖武天皇の勅願で、太子御廟の東西に、東の伽藍を転法輪寺、西の伽藍を叡福寺とする、その規模6町(約660m)四方に及ぶ大伽藍が建立された。その後440年を経て平重盛(1138-79)によって堂塔の大修補が行なわれて面目を一新したが、天正2年(1574)織田信長の兵火により伽藍全部が焼失した。その後豊臣秀頼(秀吉の子:1593-1615)の勅願により聖霊殿が再建され、相次いで現在の諸堂が成った。いにしえより歴代皇室の信仰も厚く、今日今もなお太子御忌の日には皇室からの勅使が参籠され、太子御廟所のある磯長の叡福寺は、太子信仰の中心的な役割を担って今日まで多くの信徒で栄えている。また弘法大師、日蓮聖人など高僧も参籠していたことが知られている。
【寺宝】多宝塔(重文)/聖霊殿(重文)/聖徳太子御衣、太子御所持の笛/新羅より献上の幡/御絵伝/廟窟偈碑/五字ケ峯/その他多数あり/念仏堂は善光寺四十八願所第13番礼所