【寺院名】豊田山 永源寺(えいげんじ)

【宗派名】曹洞宗
【別名】
【住所】山梨県中巨摩郡玉穂町下河東880
【本尊】釋迦牟尼佛
【開山】愚安宗智大和尚
【開基】加藤荒梵見入道
【由緒】豊田山永源寺は、古く甲斐大安寺の別院として建立され、華厳宗の蔵続山永源寺であったと伝えられている。その後、真言宗に改宗し、加藤三郎兵衛照政が聖観世音菩薩を奉祠して、天暦2年(948)に再建された。同寺は、度々の水害によって荒廃し、天正元年(1573)武田の部将田中豊前守が龍華院より愚安宗智大和尚を招じて再興、曹洞宗に改めた。しかし、その後も水害が甚だしく、現在の本堂は、元禄15年(1702)、6世一峯義仙大和尚により再建されたものである。永源寺は、徳川幕府の庇護をうけ、朝廷からは勅宣を拝受し得た格地でもあった。また明治4年(1871)普化宗が廃宗となった折、明暗寺本尊普化禅師像を遷座し、永代安置されている。昭和34年(1959)の台風により大きな被害を受けるも、霊験あらたかな名刹永源寺に参詣する人の姿は絶えない。
【寺宝】聖観世音菩薩立像(国重文)三十三番霊場第二番札所唯一の国重文である。(3月第1日曜日開帳)/普化禅師座像(町文)/尺八の開祖全国珍宝(4月29日開帳)/釋迦牟尼佛/その他多数あり。